どうも。しのぶです。

千日の参篭ってなんでしょう?
鎌倉最大の悲劇といえば
源実朝の暗殺
その実行犯の公暁は、
建保5年6月に18歳で鶴岡八幡宮の
別当(寺務を総括した僧)に
就任しながら
10月から「千日参篭」をはじめ
建保7年1月の暗殺まで継続していた
といわれています。

参篭とはいったいどんなもので、
公暁は何を祈ったのでしょうか?
千日の参篭とはどういったもの?
さて、千日の参篭とは
どういうもの?ということですが
「参篭」とは、
「寺・神社に一定の期間こもって
祈願すること」です。
日数を決め、身を清めて
精進潔斎して過ごします。
決められた場所から
出ることはできず、
身を清める以外は
食事もそこで摂り、
基本的には、人とも交流しません。
平安時代からあり、
源氏物語や和泉式部の日記にも
「参篭」は登場します。
歴史の書物のうえでは、
「病気平癒」が祈願目的である
ものが多いように見受けられますが
もちろん、それ以外の目的での
「参篭」も色々とあるでしょう。
僧侶の「修行」でも「参篭」は
おこなわれます。
神仏に「祈願」したい事があるときに
自分の生活行為の一切を捨てて「ひたすらそのことを祈る」
Wikipedia
あらかじめ、「期間」を
決めたうえで行います。
「一昼夜」「七日」「百日」「千日」
「三年間」などです。
「千日」「三年間」は参篭でも
とくに期間が長い!
期間が長いということは
「よほどの宿願」があるという
ことになります。

公暁は髪を伸び放題にしていた?!
さて、鶴岡八幡宮の別当に
就任するやいなや、
「宿願がある」と言い出した公暁。
鶴岡八幡宮の裏山の参篭所に
こもって「千日参篭」を
はじめてしまった。
参篭中は、基本的には
身を清めて精進潔斎が旨です。
しかし、公暁は
「髪を伸ばしっぱなし」に
していたそう。
別当への就任が建保5年6月、
その10月から「参篭」をはじめ
実朝の暗殺があったのが
建保7年1月です。
およそ1年3か月は髪を
伸ばしっぱなしにいていた
ようですね。
その間、ひたすら何かを
祈願しているというわけです。
怪しいですね!
もちろん鶴岡八幡宮の関係者も
怪しんだ。
・「公暁は、親の仇として
将軍の源実朝を呪詛している」
・「還俗して自分が
将軍になろうとしているのでは」
そんな噂がたっていた。
でも、その噂は源実朝の耳にも
北条義時の耳にも入らなかった
ようですね。

公暁の「宿願」とは何だったのか?
「千日参篭」するほどの
「宿願」をかかえて参篭にこもり
髪を伸ばし続けている公暁
公暁の宿願とは、いったい
なんだったのでしょうか?
「吾妻鏡」から読みとるならば
やはり「自らの将軍就任」
だったのではないでしょうか?
そしてもし、それが正解ならば
そんな公暁のいる鶴岡八幡宮で、
「鎌倉幕府はじまって以来の
華やかな拝賀の儀式」
(右大臣拝賀の儀式)が挙行
されたわけです。
公暁の「実朝暗殺」は
起こるべくして起きた
事件であり、
成るべくして成った結末
かもしれません。
現代でも「参篭」はできる?
現代でも、僧侶の修行「参篭」以外に
一般人でも「参篭」を体験できる
(外国人観光客の方もOKの)
寺社もあります。
【参篭体験ができる場所】
湯殿山参篭所
(ゆどのさんさんろうじょ)
湯殿山神社の参篭所です
※山形県鶴岡市
羽黒山参篭所 斎館
(はぐろやまさんろうじょ)
出羽三山神社の参篭所です
※山形県鶴岡市
上記以外にも、じゃらん等の
旅行代理店で見つけて
申し込むことができる寺社も
あります。

身を清めて、部屋で写経したり
座禅をしたり、朝の御勤めに参加したり
精進料理をいただいたり…
現代の参篭体験は、
和泉式部の「病気平癒祈願」でなく
公暁のような「宿願祈願」でもなく
日常生活から離れ、
静謐の中で自分を見つめる
体験といった趣旨のようです。
ご興味のある方はいかがでしょうか?

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